祈り

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私達は地震が来ると何故ツイッターを開いてしまうのだろう。

そしてツイッターを開いた時のゆれ、ゆれ、とつぶやかれているようすを見た時の安心感といったら。

ツイッターにつぶやかれているからと言って地震が納まるわけではないのだが、
おそらくツイッターが出来るくらいなのだからきっと大丈夫、
というこれは一種の祈りのようなものだろう。



地震だけではない。

私がツイッターを見るというのは色々な祈りであり、

ある時は、

「私は(家から一歩も出ていなくとも)これで世間のニュースや関心事にキャッチアップしている(そうであってほしい)」

というかたちをしており、

またある時は、

「これだけの人と私は繋がって望めばいつだって届く場所にいる(そうであってほしい)」

というかたちをしている。



その祈りもまた大抵は的はずれなのだが。

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